カレーの学校
Q. カレーの思い出を教えてください。笑える話、泣ける話、怒れる話、どうでもいい話、なんでも。集まってきた物語の数々を紹介しています。
水野仁輔が日常生活のふとした体験の中から、カレー活動のヒントになりそうなものを見つけて、思いのままに綴っています。日記みたいなもの?
記録写真家ジンケ・ブレッソンによる写真。カメラを片手に世界各地をめぐりながら、「カレーとは何か?」を探る旅の記録です。
水野仁輔が制作中のカレー本について語るプロジェクトです。著者の本音を語ります。ラジオやトークイベント、記事などなど形を変えて実施。いつか「カレー本について語るカレー本」を出版できたらいいなぁ。
「同じ授業は二度としない」がモットー。通学制『カレーの学校」で行われている、一風変わった授業の内容をレポートしていきます。
子供の頃、外食でグレービーボート(今日名前を知りました)に、カレーが入っているとうれしかった。 →ソースポットとみんなが呼んでいるやつですね。あれをグレービーボートと呼ぶのは知っていますが、あれにカレーを入れるようになったのは何がキッカケなのかは知りません。でも、あれに入っていると豪華な感じがしていいですよね。(水野仁輔)
自分で本格的カレーを作ろうと挑戦したが、カレー粉を炒め始めたら家中カレーの香りがたちこめ、体にも染み着き閉口した。 味はまぁまぁ上出来だったので良かったが、それ以来は作っていない。 今は、ハウスバーモントかハウスジャワカレーの中辛に落ち着いている。 →たしかに言われてみれば、カレールウでカレーを作ったときって、そんなに家の中に香りがこもらないですね。それがいい点だといえばいい点ですが、それだけ香りの足りないカレーということでもあるかもしれません。スパイスの香り、なかなか取れ
私の父は中高一貫の学校の教師をしています。田舎の学校で周りの広大な土地を利用して、生徒と一緒に小さな畑を作り、毎日世話をして、毎年秋には「収穫祭」を行なっています。その収穫祭の時に穫れた野菜をたっぷり入れたカレーを食べているのです。 生徒の皆さんは授業があって、調理をする時間がないので、年に一度うちの母が我が家でカレーを作り、そのカレーを父が持って学校へ行きます。 毎年秋、家に帰ってキッチンに大きな寸胴鍋からカレーの匂いがすると季節を感じます。 それと同時に父母の優しさと、そ
目の前を歩く男の背中を眺めていると、嬉しさと悔しさと敬意がごちゃ混ぜになって襲ってくるようだ。彼が無邪気にしているから、余計に混乱する。 嬉しさ 5% 悔しさ 5% 敬意 90% 内訳を詳しく言うなら、そんなところだろうか。 「CRUSH CURRY」 白いTシャツにそう描かれている。「U」の部分は石臼。石臼を叩いて作るカレーのことを僕は今年からそう呼ぶことにしたのだ。 思えばこの1年は、石臼のことばかり考えていた。石臼で叩くことによってしか生まれない刺激的な香り
インド・オールドデリーにあるビーフニハリ専門店を訪れたのは、早朝6時。この時間から仕込みが始まるという情報を得ていたからだ。 眠い目をこすりながら店に向かうとコックと従業員が仕込みの準備をしている。路上に面した店の扉は開かれ、店頭に立てば目の前にある大きな鍋がすべて覗ける状態だ。 そこから6時間、僕は仲間と仕込みの一部始終を見届けた。鍋の口がふたで密閉されたのは12時。店のシャッターが閉じた。 夕方5時、シャッターが開かれるとあっという間に人だかりができた。開店を待つお客
インドの市場の片隅で、チャイを飲んだ。 紅茶葉とスパイスとミルクと砂糖を一緒に煮出して作るこのドリンクにも、いろんな調理法がある。あのとき、あの場所で、「そーか、その順もありなのか」と感心したことを思い出す。 ゴールがおいしいチャイになれば、道筋は問わない、ということなのか。 そして、後々、あの光景を振り返るとき、いつか誰かに言われた言葉を思い出す。 「目的のための手段に溺れるな」 今でも自分は、手段に溺れるカレー作りと向き合っている。手段に溺れるのは楽しい。もはや「目的
インド・コルカタに行くと必ず訪れるレストランがある。 その店は、必ず1階は満席なので、2階へ上がる。 空いた席に座ると店員が大きなお盆に小鉢をずらりと並べてやってくる。好きなものを選び、自分のテーブルに置き、食べる。 会計の仕組みがどうなっているのかは知らないが、お金を払って店を出る。 あるとき、2階席の奥にある調理場をのぞいてみた。 突き当りには長テーブルがひとつ。その上にあの小鉢たちが並んでいた。 2階建ての家の1階にはカラの器と仕込みを終えた鍋。2階には盛り付けられた
インド・オールドデリーにあるニハリ屋は、水牛の煮込みを12時間かけて作る。早朝5時。薄暗がりの中で仕込みが始まる。鍋に順繰りに素材を投入。ひたすらかき混ぜ続けること6時間。昼前に鍋のふたは閉じられた。 6時間の間、鍋の前に立って取材と撮影を続けた。不思議と疲れは感じなかった。「開店時間に戻る」と言って、一度、その場を離れた。 6時間の間、炭火をかき出した熱源はとろ火で加熱を続けてくれる。夕方5時が近づいてくると店前に人だかりができていた。おいしいビーフニハリができあがった
高校卒業後、大学入試に失敗のため1年浪人することとなり…。 某予備校に通うことになったのですが、その1年間、毎日カツ(勝つ)カレーを食べました(笑) おかげさまで無事?大学にも合格!そこからカレーと人生が切っても切れなくなったようです。 ちなみに水道橋の予備校で、今はなくなってしまいましたが、この予備校の裏に家族経営の小さなカレー屋さんがありました。 そこのウインナカレーが大好きでしたが、ここも今ではなくなってしまったようです。残念! →毎日カツカレーとは過酷な日々ですね
東京スパイス番長のメンバー(シャンカール・ノグチ、ナイル善己、メタ・バラッツ、水野仁輔)でチェンナイへ行き、ミールスを食べた。 4人で同じ注文し、4人の前に同じ大皿が置かれ、4人で同時に食べ始める。でも、4人それぞれが違う味を味わっている。 何を選び、どれと混ぜ、どのくらいを口に運ぶかは4人バラバラだからだ。南インドの定食(ミールス)は、それが楽しい。 (ジンケ・ブレッソン)
レトルトカレーはレトルト臭がとても気になり加工して食べています。安価なボンカレー等にガラムマサラ、ビンダルウペースト、カレールウを加えて自分のカレーを作ります。 →最近は、商品によってはレトルト臭がだいぶ緩和されてきているみたいですね。殺菌レベル次第なんじゃないかと思っているので、作り手がどこまでチャレンジできるかが問われているのかもしれません。(水野仁輔)
イギリス・ロンドン。開店直後のモダンインディアンレストラン。何日目かの訪問だったから、入店するなりメニューの中の目当てのものを注文。モダンインディアンレストランで僕が好きなのは、タンドール料理類。普段あまり飲まない酒を飲みたくなる。 (ジンケ・ブレッソン)
ロンドンのモダンインディアンレストランで、インドの軽食を食べる。軽食なのに重たい。うまい。 (ジンケ・ブレッソン)
幼い頃我が家は毎週金曜日はカレーの日でした。父がその日は飲んで帰ってくるから=カレーは女子供の食べ物って位置付けだったのでしょうか。 その後、高校生になった私は、先輩に恋をしました。毎日2時間目の後の休み時間に学食のカレーを食べる先輩を柱の陰から熱く見つめたものです。 そして今、会社の昼食、週の半分はカレーです。レトルトですが…。自分でも作るようになってスパイスをたくさん買い込んだり楽しいです。 女子供の味→初恋の味→午後への活力→私の中のカレーはまだまだ進化しそうです。
なんのパンだったか、思い出せない。このレストランはロンドンで生活していた3か月間で最も通ったモダンインディアンレストラン。トリュフナンなんていう、超高級ナンもあったけれど、写真を見てもトリュフはのっていない。アロラシェフとはその後、仲良くなって調理の取材もお願いした。その内容をまとめた書籍「Labo India LEGEND」は既に絶版。彼のレストランは閉店してしまった。ワールドワイドにインド料理店を展開するグループのシェフだから、きっと今も世界のどこかでインド料理を作ってい
かつてこの地で親しまれていたと聞くブリティッシュカレーを探すために3か月間、ロンドンに滞在した。毎日毎日、野良犬のように街を徘徊して「British Curry」の文字を探す。ない。見つからない。パブへ入るとチキンティッカマサラがあった。当時、イギリス人の国民食と呼ばれることもあったカレー。濃厚で沁みる。 (ジンケ・ブレッソン)