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クラッシュカレー元年

目の前を歩く男の背中を眺めていると、嬉しさと悔しさと敬意がごちゃ混ぜになって襲ってくるようだ。彼が無邪気にしているから、余計に混乱する。

嬉しさ 5%
悔しさ 5%
敬意 90%

内訳を詳しく言うなら、そんなところだろうか。

「CRUSH CURRY」
 
白いTシャツにそう描かれている。「U」の部分は石臼。石臼を叩いて作るカレーのことを僕は今年からそう呼ぶことにしたのだ。

思えばこの1年は、石臼のことばかり考えていた。石臼で叩くことによってしか生まれない刺激的な香りがある。まだ生まれたてのカレーだというのに、ひょんなことからレシピ本を出すことになった。

前を歩く男はタイの友人で、バンコクに住んでいる。僕に石臼の魅力を教えてくれた男だから、レシピ本には彼のカレーを加えたい、とバンコクまでやってきた。

彼は会うなり挨拶もそこそこに1枚のTシャツをプレゼントしてくれた。背中に「CRUSH CURRY」とある。今回の撮影取材用にと前夜、夜中までかけてプリントしたという。

呆気に取られる僕を気にせず、彼は歩き始め、僕は後を追った。彼の背中にも同じロゴマークが揺れている。

◉嬉しさ 5%
 クラッシュカレーを気に入ってくれたような気がして、嬉しかった。

◉悔しさ 5%
 ロゴやグッズを作るのは僕の十八番なのに先を越されて悔しかった。

◉敬意 90%
 人生初の撮影に挑む直前、Tシャツ作りに骨を折る姿勢に感服した。

 
   誰もやったことがなくて、
   誰にも頼まれていないけれど、
   誰かが望むかもしれないことに、
   全力を尽くす。
 
僕のモットーである。
 
誰もやったことのないクラッシュカレーを生み出し、出版社から頼まれていないのに自腹でのタイ取材を決め、全力を尽くすつもりでこの地にやってきた。
 
待ち構えていた男は、誰にも頼まれていないクラッシュカレーのロゴをデザインし、夜鍋してTシャツを作り、僕が望むかもしれないことに全力を尽くして再会の時を待っていたのだ。
 
すごいことだ。
期待を超え、想像を超えて、依頼に応える。
この考え方を持ち、実践する点で彼と僕はよく似ている(つもり)。

取材撮影の全行程を終えた翌日、僕たちはボロボロの体を押して、シルクスクリーン印刷に励んだ。何枚もTシャツに色をつけ、その都度はしゃいだ。もうヘトヘトのはずなのに。

途中でふと我に返る。
ええと、自分は、ここバンコクに新刊の撮影をしに来たんだよな。撮影はすばらしいチームのおかげで順調に進み、完了した。あとはのんびりと残りの時間を過ごせばいいはずなのに。

やるべきことの準備が整ったら、あとは実行に移すのみ? いや、まだまだ足りないことがあるはず。
僕は本番を迎える直前まで、完了する直後まで、「あと一歩だけ考えを深める」よう心がけている。

自分は本当にベストを尽くせているだろうか。
もっと何かできることがあるんじゃないか。
さらによくなる工夫があるんじゃないか。

でも、バンコクでの新刊撮影をあと一歩だけ楽しもうとする姿勢が、自分には足りなかったのかもしれない。
ハンガーに吊るされ、ひらひらと風に躍るTシャツが、「キミもまだまだねぇ」と嘲笑う。

乾燥した数着をカバンに入れて別れ、空港に向かうと、離陸前にメッセージがあった。

This is first sketch and today we finished it together …. Yatta!  🤟💚💛❤️
 
添えられていた写真は、彼が一番最初に描いたクラッシュカレーロゴのラフスケッチだった。

ここから始め、忙しい日々の中でいったいどれだけの時間をかけてこれをデザインしたんだろう。
そういえば、「シンハービールがあれば夜中の何時まででも集中できる」と聞いたことがある。じゃあ、あなた、シンハービール、いったい何本飲んだのよ?

尊敬する。
ちょっぴり嬉しくて、ほんのり悔しくて、やっぱりすごい男だな、と思う。

2024年の終わりに貴重な経験をさせてもらった。

いいように解釈するなら僕が踏み出した「最初の一歩」が、彼の「次の一歩」を生み出したのかもしれない。そうやって熱意や行動が連鎖することを彼は「cycle」と言う。そういえば帰国後のやり取りでそんなメッセージも来てたっけ。

「Support together like the cycle of life.」

さあ、次は僕が返す番だ。
さて、あの男にあと一歩、何をしてやろうかな。
この気持ちを2025年に持ち越したいと思う。
 
(水野仁輔)


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