カレーの学校
記録写真家ジンケ・ブレッソンによる写真。カメラを片手に世界各地をめぐりながら、「カレーとは何か?」を探る旅の記録です。
Q. カレーの思い出を教えてください。笑える話、泣ける話、怒れる話、どうでもいい話、なんでも。集まってきた物語の数々を紹介しています。
水野仁輔が制作中のカレー本について語るプロジェクトです。著者の本音を語ります。ラジオやトークイベント、記事などなど形を変えて実施。いつか「カレー本について語るカレー本」を出版できたらいいなぁ。
水野仁輔が日常生活のふとした体験の中から、カレー活動のヒントになりそうなものを見つけて、思いのままに綴っています。日記みたいなもの?
「同じ授業は二度としない」がモットー。通学制『カレーの学校」で行われている、一風変わった授業の内容をレポートしていきます。
自分は独身ひとり暮らしなんですが、ルーカレーを作るときにどうしてもたくさん作りすぎてしまいます(笑)。(4人前くらい)しかも煮込めば煮込むほどうまくなると思ってるので、鍋に入れっぱなしてしまうんですね〜。それで温めるとそのうちなべ底焦げてきて焦げくさくなり……。最終的には捨てる運命にあります……(笑)。鍋が悪いのかなぁ……。 →作り過ぎたらさ、捨てる運命になる前にさ、気になる人を呼ぶんですよ。「カレーを食べに来ませんか?」と。(水野仁輔)
あれは、たしか、小学校6年生の時でした。クラスメイトに、ピザオ(仮名)という、学校でも指折りのやんちゃな男子がいました。歳の離れた兄姉がいるピザオはかなりの早熟で、小学生なのに、あそこのヘアーはダントツ学年1番のボーボージャングル状態だし、ピザオの部屋には、エロ本やエロ漫画をはじめとする、いわゆる“大人の階段”への入り口がいっぱい隠されていて、毎日のようにクラスメイトが入りびたる、いわゆる“たまり場”となっていました。そんなピザオの家ですが、歴史を感じる古い母屋に、敷地内には
これは、大学生の頃の話ですが、学生の頃の自炊は、大体パスタかカレーでした。また、カレーを作った次の日は、当然カレーパスタな訳で、ボクの学生時代はインドとイタリアを行き来するオトコとして、様々な友人、知人、女性たちを招待しては、その腕前を披露したものでした。ある時、いつものようにインドに行きたいという、ひとりの女性をご招待する事になり、ボクは得意の手羽先カレーの準備をはじめた時に、いつも使うインデラカレーの粉が少ないコトに気付き慌てて近くのコンビニにカレー粉(S&B赤缶)を買い
まだ、実家にいた頃の話ですが、家のカレーは、唯一親父と一緒に食べる朝ご飯でようやく本番のカレーになれる!というカレーだったのですが、なかなか一緒に食卓を囲めなかった親父は、朝飯だけは、なるべく一緒に食べるようにしていたみたいで、そんな親父がカレーを御飯茶碗に軽く乗せて、普通に箸でカレーを食べながら決まって熱々の味噌汁をすすり、ヒーヒー言いながら食べていた。さらにこのお茶碗カレーは、おかわりをした時に親父は、大体醤油を少し垂らして食べていた。イシイ家の一家団欒の思い出は、何でも
上京し、初めて付き合った彼女の家で、作ってもらったのが、ビーフカレーでした。普通に美味しかったのでお腹イッパイたべたよ!ウマイよ!と、褒めてるつもりで「もう、食べれない!腹イッパイだぁ!」と言ったら物凄い、キレられました。程なくして、縁もキレました。黙ってモクモク食べるのが、良いと思っていましたが、そうではない様です。 →そんな、残念な。ま、でも、そうなる運命の間柄だったんでしょうね。もくもくと黙って食べられるのは結構うれしいです、僕は。(水野仁輔)
あ、なんかナイル善己くんが、言ってたな。「毎日同じ味を目指しているけれど、ぶっちゃけ、◎曜日が一番うまいんです」って。定休日が火曜だから、休み明けの水曜って言ってたのかな。休みに入る直前の月曜って言ってたのかな。忘れちゃいました。ただ、好みによりますからね。1週間、毎日通ってみてください。(水野仁輔)