カレーの思い出 316:地獄カレー

あれは、たしか、小学校6年生の時でした。クラスメイトに、ピザオ(仮名)という、学校でも指折りのやんちゃな男子がいました。歳の離れた兄姉がいるピザオはかなりの早熟で、小学生なのに、あそこのヘアーはダントツ学年1番のボーボージャングル状態だし、ピザオの部屋には、エロ本やエロ漫画をはじめとする、いわゆる“大人の階段”への入り口がいっぱい隠されていて、毎日のようにクラスメイトが入りびたる、いわゆる“たまり場”となっていました。そんなピザオの家ですが、歴史を感じる古い母屋に、敷地内には苔だらけの池やお蔵がある”屋敷”で、仲間のあいだでは、黒く汚れた銀閣寺、略して“黒銀閣”と名づけていました。黒銀閣には、しょっちゅう脱走して行方不明になっているワイルド番犬の“バン”も一緒に暮らしていました。
ある夏の日、いつものように銀閣寺で暇をもてあましていた僕たちは、キャンプの話で盛り上がり、勢い余って、子供だけで2泊3日のキャンプをしようということになりました。それも、山や川ではなく、黒銀閣にある裏庭のお蔵の前で。裏庭には、なにやらいろいろ樹木が植えられており、なんとなくじめっとした湿った山の雰囲気でした。ピザオの家の敷地内であれば、たとえ厳しい親でも反対はできません。これはなかなかの作戦で、全員まんまと親の許可がとれました。
参加者は6名、最初に役割を分担して準備をしました。僕は、ボーイスカウトでのキャンプ経験を期待され、食料班の班長として、食材の調達から調理までの全てを統括する立場でした。食料班は、メモ片手に近所の八百屋に食料を買い出しに行きました。食材を買い、いざ、カレールウを買おうとした時に事件は置きました。参加者の大半の家庭では『ハウスバーモントカレー』が定番でしたが、早熟なピザオの家だけは、大人の辛さが広がる『ハウスジャワカレー』を使っていたことから、多数決では圧倒的に弱い一方で、場所を提供している強みをもつピザオがダダをこねだして折り合いがつかず、結局、バーモントカレーの大箱(12皿分)とジャワカレーの大箱(12皿分)を1つずつ購入する事態になりました。今思うと、このあたりから、あやしいニオイがプンプンしていたように思います。
いよいよキャンプ当日、ちょっと大きめの鍋を用意し、カレールウの箱の裏側に書いてある作り方を参考にして、1箱(12皿)分の具材と水を雰囲気で入れ煮込みはじめました。薪の火力はすさまじく、鍋の中の具材には一気に火が通り、同時に水分もガンガン蒸発していました。盛り上がって興奮している僕たちは、煮えたぎる鍋めがけ、ついつい、みんなで購入した2箱のカレールウをあるだけ全部、それも一気に投入してしまいました。すると、尋常じゃないとろみをもつ異様にドロドロの地獄鍋のようなカレーが出来上がりました。具材にルウがねっとりと絡みつくその姿は、ふだん食べているカレーとは全く異なる風貌でした。一口食べると、しょっぱいやら、辛いやらで、散々な味でしたが、キャンプの雰囲気と、たっぷりのご飯の存在により、不思議なことに、僕たちは、超濃厚濃縮カレーを、具材の肉を奪い合いながら食べていました。ところが、どう考えても、入れた数よりも多い肉の塊が鍋にあるのです。ラッキーと思い、喜んで食べると、「ウゲ~~~~~!!!」それは、カレールウがブロック状のまま、溶けずに固まったものでした。その得体の知れない地獄カレーに、僕たちは、笑い転げました。
今、食品のプロとしての経験から考える、ぐつぐつと煮えたぎり水分が蒸発し、さらにカレールウの量に対して所定量の半分以下しか水分のない鍋の中に、ざっくり割ったブロック状態で一気に投入されたカレールウは、おそらく、極度の粘性でどろどろで溶けにくいため、表面の小麦粉の澱粉が中途半端に吸水した状態で一気に熱せられて固まり、酢豚の肉のような見た目になっていたのだろうなと推測します。おそらく、その当時も、カレールウの箱には、しっかりと失敗なくルウを溶かしきれるように、「火を止めてからルウを入れてください」と注意が書かれていたと思うのですが、興奮のあまり1箱(12皿)分の水なのに、2箱(24皿)分のカレールウを全部投入してしまうような小学生がそんな押しつけがましい表示を読んでいるわけがありません。きっと、大失敗もイノベーションも、こういった型破りな失敗や発想から生まれるのではないかと思います。一概に『失敗は成功の母』なのではなく、『成功の母』となり得る『失敗』は、ちょっとだけいつもよりはみ出したくらいの小さな失敗ではなく、既成概念や、枠組みがぶっとぶような、崖から転落するくらいの視野や思考がひっくりかえるくらいの衝撃を受ける『失敗』に限るのかもしれないなと思います。中華料理では、肉や魚介類に冷えた状態で澱粉をしみ込ませた後に衣をつけて一気に加熱することで、身の縮みを防ぎ、かつ肉汁や旨味をギュッと具材に閉じ込める調理法が使われますが、あの日の僕たちの失敗は、カレールウを溶かさずにカレールウの中にギュッと閉じ込めてしまうというカレールウにはあってはならない食品科学的メカニズムだったのでしょう。

→溶けていない固形のルウ、ありますね、たまに。でも、僕はたまにあのカレールウをそのままかじりたい衝動にかられますよ。チョコみたいにね。(水野仁輔)

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