カレーの旅000:そして、僕は写真家になった。
2021年9月21日、僕は“カレーの人”を卒業し、“写真家”になった。
○○家だなんていうのを自称するのは生まれて初めてのことだから、少々緊張している。写真家というのは別に資格の必要な仕事ではないのだから、名乗ったその日から誰でもなれる職業である。思えば、カレーの人というのだって資格は要らない。そう考えると僕自身は、もともと何者でもない存在だし、これからも一緒だ。ちょっと長くなるけれど(いや、なかなか長くなるけれど)、「写真と僕(とカレー?)」ということについて、書いておきたいと思う。
初めて写真に興味を持ったのは、大学2年のとき。バックパックの一人旅でヨーロッパ各国を回った。たしか1カ月半ほどの短い旅だったと思う。どうせ行くのだから、と弟からFUJIのコンパクトカメラを借りた。新宿のカメラ屋さんに行って36枚撮りモノクロフィルムを10本買って旅立つ。旅先でパシャパシャと撮っているうちに楽しくなり、帰国後、吸い込まれるように大学の写真部に入った。それから先は、街中をうろついてはスナップを撮り、暗室にこもる日々が続いた。根暗な自分には居心地のよい場所だったかな。
将来はカメラマンになるのだから、とポートフォリオ作りに精を出していた。にも関わらず、ひょんなことから就職試験を受けた広告会社に間違えて入社し、サラリーマンになってしまう。今思えば「カメラマンになりたい」だなんて、その程度の熱意しかなかったということだ。あれから25年ほど。カメラを持つことなく日々は過ぎた。そら見たことか。写真を撮るのは決まって海外を旅するときだけで、それも学生時代のような“作品を撮る”という意識ではなく、“記録を取っておく”くらいのものだ。
写真を忘れたままカレーの人となって活動を続け、SNSなどで発信をするのも専らスマホで撮るのみ。たまに「水野さんのインスタ、写真がきれいですよね」とか言ってもらっても、学生時代に写真をかじっていたことなんて恥ずかしくて話せない。そんな中、たまたまとある写真専門古書店で尾仲浩二さんという写真家の展示を目にした。そのときのことは、記事の本筋と違うけれどこの連載で触れている。
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水野仁輔の旅と映画をめぐる話 vol.15
失ったものもいつかは取り戻せる、といいなぁ。 /『パリ、テキサス』
https://www.pintscope.com/serial-story/jinsuke-mizuno-15/
25年ほどのあいだ眠っていた写真に対する熱が、自分の中にジワジワと沸き起こってくるのがわかった。「また昔のように写真を撮りたい」と思った。こういう熱は自分で冷ますことができない性分だ。頭の中がグルグルとする日々が過ぎた。結果、僕は写真家に転身すると決め、新宿のカメラ屋さんに新しいカメラを買いに行く。カメラを買ったのが、 9月21日の夕方。
そして、僕は写真家になった。
写真家になった以上は、撮るもののテーマが必要となる。もう決まっている。「旅を撮る写真家」である。ただの旅ではない。「カレーの旅」を撮る。だって、僕が海外へ旅立つときの目的は、100%、カレーを探る旅なのだから。
写真家になった以上は、写真集を出したい。「いつかは……」などと悠長なことを考えるタイプではないから、すぐに動いた。過去のカレーの旅を記録した写真ならどっさりある。旅雑誌の編集長をしている友人に編集をお願いし、腕利きのデザイナーを紹介してもらった。2021年12月25日。そう、今日、その写真集がお披露目となる。
写真家になった以上は、写真展も開催しなければ。何人かと一緒にグループ展にしたら楽しそうだ。早速、「マラカス・フォト」という写真家集団を結成した。3人ほど仲間になってほしいと思っている写真の上手なカレーシェフがいるが、具体的に声をかけるのはこれからだ。お楽しみに!
写真家になった以上は、写真家としての名前が欲しいとも思った。「水野仁輔」は手垢がつきすぎている。別名でやっていきたい。“リリー・フランキー”さんみたいに国籍不明な名前がいいなぁ、と2晩考えた結果、“ジンケ・ブレッソン”に決めた。“ジンケ”は僕の小学校時代のニックネームで、“ブレッソン”は、アンリ・カルティエ・ブレッソンから勝手に拝借した。学生時代のバックパックで写真の魅力を知る直接的なキッカケとなった高名な写真家である。
「カレーを引退して写真でやっていく」と話すと多くの人がキョトンとする。素っ頓狂な声を上げる人もいるし、大笑いする人もいるし、怪訝そうな顔つきになる人もいるし、表情を曇らせる人もいる。でも「カレーの旅を撮るんだ」と続けるとみんな胸をなでおろしてくれる。写真家になったとはいえ、カレーとお別れするわけじゃないという点がきっと安心材料になるのだろう。
ここ数年で、「自分がカレーでやりたいこと」は明確になった。そのことはここでは説明しきれないので別の機会に譲るけれど、ひと言でいえば、「カレーの全容解明をしたい」ということに尽きる。それはもう、まるでオセロを裏返したときのようにハッキリと白黒つけられた。だから逆に「カレーについては、もう引退していいんじゃないか」と思ったのだ。ずっと探求し続け、ずっとずっと向き合い続けることがわかったのだから。
カレーの活動はどうなるの? と周囲の人たちは気にかけてくれている。僕は僕自身が自ら立ち上げたプロジェクトについてはこれまでと変わらず続けていこうと思っている。多くの仲間に恵まれ、楽しく“ライフワーク”としての“カレーライフ”を続けられる。ときに仕事よりはるかに夢中になってしまう趣味を持っている人がいる。昔から僕にとってのカレーはそんな存在だったんだろうな、と思う。もしカレー業界というものがあるとしたら舞台からは降りることになるけれど、「カレーの全容解明」を気にしてくれている人には、何かを届けられたり共有できたりする創作活動は行っていきたい。隅っこで細々と、でも熱心にね(だから声は小さくなるけれど、耳を澄ませてくださいね)。
そういえば、今年から音楽理論の勉強を始めた。『楽典』をはじめ各種教材を手に入れ、専門家の先生について、ゆっくりだけれど音楽の仕組みを理解しようとしている。スパイスやカレーの世界で理論構築をするために必要なことだと兼ねてから考えていたのだ。カナダの音楽家グレン・グールドは、天才と呼ばれたにも関わらず、若いうちにステージの演奏から引退し、スタジオにこもって録音の日々を送ったという。自分の考える音楽を追求するために。そのスタンスに感銘を受けたことも、活動を見直すヒントになった。
カレーを音楽になぞらえてみると(僕はよくこれをやるのだけれど)、作曲(レシピ開発)も演奏(ライブクッキング)も長い間、やり続けてきた。ところが、僕がカレーでできていないことがひとつある。レコーディングによるアルバム制作である。永遠にできない。カレーは録音ができないからだ。あの香りも味わいも色も舌ざわりも物理的に保存して100年後に残すことはかなわない。あー、音楽が羨ましい。
いい音楽かどうか、おいしいカレーかどうか、は同時代を生きて演奏を聞いたり、実際に食べたりした人が評価することである。時代が変わり、人が変われば評価は変わる。記録は評価とは別のところに存在する。いい音楽だったかどうかはともかく、確かにそこにこういう音楽があったということは残せる。じゃあカレーは? おいしいカレーだったかどうかはともかく、確かにそこにこういうカレーがあったということは残せるのだろうか。
写真を撮るという行為は、今の僕にとって芸術的なものではなく、あくまでも記録である。自分で作るカレーの写真を自分で撮ることはないにせよ、旅に出て旅先で出会ったカレーをカメラにおさめることは、「あのときあの場所にこんなカレーが確かにあった」という記録として一定の価値を持つ。そして、「カレーの全容解明を目指して世界中を旅している人」が極めて少ない(いない?)以上、こんな僕が撮る写真にも何かしらの存在意義はあるはずだ。
処女作となる写真集のタイトルは、『CURRY JOURNEY(カレーの旅)』に決めた。これをシリーズタイトルとして、行き先ごとに次々と新作を出していきたいと思っている。いつか50か所50冊くらいの写真集を出版できたら、それなりにこの素晴らしき世界を伝える記録にはなるんじゃないかな。
写真熱を再燃させてくれた尾仲浩二さんという写真家は、何十年もの間、自身の写真集を出版し続ける傍ら、同人誌的に自費出版も続けている。その中で彼の書いたエッセイに強く惹かれたので、ここで(勝手に)引用しておきたい。
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1997年に中野南口で撮った写真をこの本の最後のページに掲載したけれど、これを初めてプリントしたのは、渋谷宮益坂にあった森山大道さんのプライベートギャラリーでの展示だった。十数点並べた写真の中で、この中野の写真はつまらないよと森山さんに言われたことを未だに覚えている。同じ時に煙突はこう撮らなきゃいけないんだよな、とも褒められ、煙突の写っている写真は何枚かあったので、どの写真の事でしょうかと訊ねたけど、それは教えないよと言われた。もちろんふたりでたくさん酒を飲んでいる最中のことだ。
(『写真の友・街道マガジン vol.5 特集 街道がある街 中野/責任編集・尾仲浩二』より抜粋)
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うまく説明できないのだけれど、写真に夢中だった大学時代の記憶がフラッシュバックした。僕にとってでしかないが、写真を撮る行為の魅力がぎっしり詰まった短いエッセイだ。記録という無機質に見える行為の先に有機的な魅力があると感じさせてくれるエッセイだ。これを最初に読んだ時から今日まで、もう30回くらい読み返している。
ともあれ、僕は写真家になった。
全くなぁにバカなこと言ってんだろうね。みんなそう思うかな。僕もそう思うもんな。どうなるかはこれからの次第かな。20数年間、カレーの人として活動を続けてきたから、少なくともここから20数年間は写真家として活動してみるつもり。そして、叶うことなら海外へ撮影の旅に出かけたい。そのときが来るを待ち望んでいる。
(水野仁輔/ジンケ・ブレッソン)