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カレーのヒント 088:バッコン・コミュニケーション

どこかへ何かを食べに行くとき、あえて店の営業状況を調べないというプロジェクトをいまだに続けている。プロジェクトといっても誰かに何かを提言するような主旨はなく、僕がひとりで勝手にやっているだけのことだ。片道30分かけて自転車をこいで、店の前に到着するとシャッターが下りている。「定休日」という札がぶら下がっているのを目にして、あ……。さあ、どうする? お楽しみはここからだ。
そんな僕に助言してくれる人もいる。「定休日くらい事前に調べておけばいいのに」。でもさ、それじゃあ楽しめないじゃないか、と思う。

そもそも不便な状態が好きだというのもあるけれど、それ以上に便利な状態が続くことに不安感を強めてしまう厄介な性格を自覚している。

そういえば、最近、こんなこともあったな。僕の作業場であるAIR SPICE ROOM(通称ルーム)を借りた仲間が、僕の大事にしていた器を割ってしまった。「すみません! いくらでしたか? 弁償します」と連絡があった。運の悪いことにその器は、佐賀県の有田焼の作家さんが僕だけのために作ってくれた一点モノだった。二度と買えない。
そこで僕は彼と相談し、割れた器を修復する金つぎプロジェクトを立ち上げ、仲間を募ることにした。割れてしまったものを元に戻したいというよりも、もったいないからモノを大事にしたいというよりも、何よりも、せっかくの機会だから「大事な器が割れた」ことをとことん楽しみたい。

最短で目的を果たしたいこともあれば、ゴールテープを切るまでの時間を長く楽しみたいこともあるのだ。


来年から2拠点生活を始めることにした。

東京と浜北。“浜北”というのは、僕の生まれ故郷で、かつては静岡県浜北市だったのだけれど、隣りの市に吸収合併されて、静岡県浜松市浜北区となった。ここにほどよい物件があり、借りることにした。東京で借りているルームを出て、浜北へ引越しをする。
僕の都内での作業場は、今の場所が3カ所目だ。AIR SPICE LAB(通称ラボ)→AIR SPICE KITCHEN(通称キッチン)→AIR SPICE ROOM(通称ルーム)と近場で細かく引越しをした。東京を飛び出して引越しをするのは初めてである。次に行く先の名前は決めてある。AIR SPICE HOUSE(通称ハウス)である。

都内から車で3時間半、電車を乗り継いで2時間半以上かかる。不便な場所に引っ越しをする上に“ハウス”が使えるようになるまでは1年近くがかかるだろうし、ずいぶんとお金もかかることになる。生まれて初めて銀行からお金を借りることにもなりそうだ。ドキドキする。
今のままルームをキープしていれば、何かと楽で便利なのだけれど、そのことが僕を不安にさせるのだから仕方がない。思考停止状態になり、頭をひねって工夫することも、小さな挑戦をすることもしなくなってしまいそう。そんな自分自身に対して、バシッとひと声をかけたくなる。

「つまらない奴だな、オマエ」

浜北のハウスは、文字通り一軒家だが、その中の半分ほどの区画を間借りすることになる。最近は、時間を見つけては新幹線に乗ってハウスを訪れ、庭の切り株周辺の土をシャベルで掘り起こし、手動による抜根を試みている。春までに耕して、ハーブをあれこれと植える日を想像しながら。
ここでも現地で知り合った仲間が善意で声をかけてくれる。「庭師の友人がいるから、重機を使って一気に抜きますよ」とか。いや、確かに目的は根を抜いてハーブを植えることだけれど、切り株があっという間になくなってしまうのは、楽しくないじゃないか。「抜根」という行為から始まる様々なアクティビティをできる限り考え、実行してみたい。
これを僕は“バッコンコミュニケーション”と呼ぶことにした。

「ハウスにバッコンしに来ない?」

一緒に楽しんでくれる仲間たちが増えていくといいなと思っている。
抜根を終えたら次はどうしようかな。開墾することになるのかな。“カイコン”コミュニケーション。開墾を終えたら次はどうしようかな。ハウスのアイコンとなるようなハーブを選びに植木屋さんにでも通うことにしよう。“アイコン”コミュニケーション。アイコンを植え終えたら次はどうしようかな。調理場にスチコンでも導入しようかな。肉に完璧な火入れをして栽培したハーブを香らせよう。“スチコン”コミュニケーション。おいしいハーブ料理を提供できるようになったら、最後は合コンでもやろうかな。“ゴウコン”コミュニケーション。

「ハウスにコウコンしに来ない?」

そんな日がいつか実現したら、きっと僕は自分自身に対して、もう一度バシッとひと声をかけたくなるのだろう。

「本当にオマエは、心の底から、つまらない奴なんだな!!!」

“サッコン”の二拠点生活ブームに乗っかってしまったような向きもあるけれど、
“カイコン”の念に駆られているヒマはない。
“コンコン”と湧き出るアイデアを練りに練って実行に移し、
“ニュウコン”のカレーができあがった暁には、
“イッコン”傾けるのもいいじゃないか。

くだらないことを書き連ねていたら、大事なことを思い出した。
浜北にハウスを持つことに決めた理由のひとつ。小さな庭に“ウコン”が植えられているのを見つけて、なんだか勝手に縁を感じてしまったのだった。とにかくこれから踏み出す小さな一歩にワクワクしている。年が明けたら、軍手と長靴を新調しよう。

【追記】
最後にちょっとだけ真面目なことも書いておきたい。
今年の6月にフランス・ブルターニュへ行き、スパイスの魔術師と呼ばれるオリヴィエ・ローランジェ氏に会うことができた。3時間もの間、彼は優しく情熱的にスパイスやハーブとそのブレンドについて話してくれた。彼のスパイスとの向き合い方は僕のそれとは違う。どこまで行っても自分のルーツに目を向け、生まれ故郷を大切にすることから出発していた。物語は紡ぎ出され、スパイスというモチーフを使って彼は彼自身を表現している。そのことに僕は心を動かされた。
10代で故郷を去って上京し、カレーやスパイスと向き合って活動を続け、25年が経とうとしている。50歳を目前に控え、歳のせいか、ここ数年は自分の生まれ育った環境に目が向くようになった。そんなタイミングでローランジェ氏とお話できたことは僕にとって大きな財産になったと思う。
そろそろ僕も自分のルーツに目を向け、生まれ故郷を大切にし、物語を紡ぎ出す活動を始めてもいいんじゃないか。浜北にハウスという拠点を構えようと思った最大の理由は、実はそこにある。多くの注目を集めるようなことはないだろうけれど、時間をかけて生み育てていきたい。

(水野仁輔)

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