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カレーのヒント 039:気持ちの到達距離、賞味期限。

今年の新刊「スパイスカレードリル」が、今日、アマゾンで予約受付開始となった。

たまたま同じく今日、昨年の著書「スパイスカレーを作る」の電子書籍化の契約に関する依頼が同じ出版社からあった。紙の書籍が出る喜びと電子書籍化される落胆との格差と言ったら、例えようがない。

僕は、できることなら、すべての著書について電子書籍化は拒否したい。最終判断は著者にゆだねられるのだから、拒否すればいいだけのことだ。ところが、それがなかなかできない。まあ、別にいいか、と契約書の内容もよく読まずハンコを押してしまうのは、考えるのが面倒だから、というのもあるけれど、お世話になった出版社が求めるならそれくらいは協力しておけばいいか、というののほうが大きいかな。
でも、電子書籍化された後のことは、僕の中ではなかったことになる。今回も、反射的に「いやだ」という気持ちが出たが、「まあ、いいですよ」とメールの返事はすることにした。

僕は書籍が好きだ。それは、紙媒体としての書籍、手に取れる書籍、紙にインクをのっけてできあがる書籍が好きなのだ。電子書籍には正直言って1ミリも愛着はない。
「あなたの届けたいことをより多くの人に届けるための手段のひとつです」と言われたとしても、「それで届く分は要りません」という気持ちになってしまう。どこかの出版社から「本を作りませんか?」と依頼が来る。「もちろん」と僕は答える。そこから、短ければ半年程度、長いものだと3年以上をかけて1冊の本ができあがる。しかも、その本に僕がこめるもののエッセンスは、僕が20年間、カレーと向き合ってきた結果が盛り込まれる。そうやって内容を練って、今や「無駄だ」と言われる印刷という手法を取って書籍ができあがる。しかも、売り上げの大部分は出版社が持っていき、著書は微々たる金額しか手にできないということがわかっていても、僕は書籍を作りたい。時代錯誤で燃費の悪いこのプロジェクトに全力を注げるのは、僕が「書籍が好きだ」からに他ならない。

問題は、「書籍を作りましょう」と決まってから僕がそこに対して注ぐ気持ちの距離とか、賞味期限である。僕は書籍を作ることに全身全霊を傾ける。書籍ができあがって書店に並んだ時、それは僕の手から離れて読者のものになる。その時点で僕の気持ちは途切れるのだ。だから、その1年後とかに「電子書籍化しましょう」と言われたときに、その依頼を受け止める気持ちはこれっぽっちも残っていない。もう、気持ちは途切れた後だから、そんなこと言われても動く気持ちが存在しないのである。仮にどこかの出版社が最初から「電子書籍で1冊作りませんか?」と言われたら、僕は受けるつもりはない。だって、電子書籍が好きなのではなく、紙の書籍が好きなのだから。「電子の方が紙で出すより10倍以上お金がもうかりますよ」と言われてもお断りする。だって、そもそも、紙の書籍を出版すること自体、お金を稼ぐという観点で見れば、恐ろしく非効率な作業なのだから。

電子書籍化は、断りたい。でも、断れない。結局、見なかったことにする。そして、こういう場所で、愚痴る。よくないサイクルだ。似たようなもので、昔からよくあるのは、過去に掲載された雑誌取材の再掲載である。これも同じように嫌悪感を抱いていた。僕は、その時代にその雑誌の企画に応じて取材を受け、レシピを考え、調理したり原稿を書いたりしたのだ。その時点で気持ちの賞味期限は切れている。数年たって、「あのページを別の企画で再掲載したいんですが、いかがですか?」。いかがって、いいわけないじゃないか。でも、僕は、「まあ、いいですよ」と言ってきた。ところが、いつしか少しだけ自分に正直に強くなった僕はここ数年は、すべての再掲載をお断りすることにしている。

だから、この電子書籍化の話もこれから先は断ることにしていきたい(僕のことだから、すぐにはできないのだろうけれど)。僕の気持ちが届く距離は本当に短いんだろうなぁ。新刊が世に出る嬉しさの片方で、そんな悩みにくよくよしていたら、ふといい案が思い浮かんだ。

過去の電子書籍化された本は、僕が自分のメディアでレシピを無料公開していけばいいんじゃないだろうか。

「電子書籍化するなら僕が同時にレシピは無料公開します」なんて、子供のケンカよりも程度が低い話だが、出版社は電子書籍化したい。僕はしたくない。この平行線にひとつの解決方法を見出すなら、これは悪くないかもしれないな。
こんな時代錯誤なことを言っていたら、近い将来、本当に時代に取り残されて行くのだろうなぁ。でも、元々、時代の波に乗れるタイプじゃないのだから、「これでいいのだ」としよう。無駄なことが好きで、無駄だとわかっていることに気持ちを注げる以上、これからも僕は紙の書籍を作り続けたいと思っている。

(水野仁輔)

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別名“カレープレーヤー”養成所。入学すると50人の仲間(同級生)に出会える。授業に出るとカレーの未知なる魅力に翻弄される。卒業すると500人以上の仲間(卒業生)ができる。つまり楽しい日々はずっと続く。そして校長の僕は取り残されてちょっぴり寂しくなる。そんな学校です。水野仁輔

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