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カレーのヒント 058:リカバリーの連続

相変わらずネットの将棋中継ばかり見ている。
暇だから、なのだけど、朝から夜まで、時には深夜に及ぶ中継にかじりついているわけではない。将棋中継画面をタブで開き、音声を流して棋譜の進行や解説を聴きながら、カレーの試作をしたり原稿を書いたりしているのだ。別に趣味の将棋だけに没頭しているわけじゃないからね、と自分への言い訳を心の片隅に持っている。

ともかくそんな調子だからカレーの原稿を書いていても将棋の話が混ざってきてしまう。いいのか悪いのか。先日、三浦九段と藤井七段の対局を眺めていたら、頭の中に大きな「!」が生まれる一言が飛び出した。

「プロ棋士の対局は、リカバリーの連続です」と解説の山崎八段。

瞬時に「カレーも一緒だ!」と思ったのだ。いつも「おいしいカレーを作るためにはどうしたらいいですか?」と聞かれる。プロが集まる研究会を長年開催しているし、プロの中でも特に実力のある人に、彼らですらかなわないというごく一部のインド人シェフのエピソードを聞いたりなんかすることもある。それらの経験から、僕は、「カレーを作るのがうまい人=リカバリー能力に長けた人」と思っている。

鍋の中は常に一定ではない。昨日と今日、今日と明日は必ず違う。一度たりとも同じように進行はしない。そのちょっとした変化に気づけるかどうかがモノを言う。ほとんどの人が気づかないでやり過ごしているプロセスのちょっとした隙間に変化を見つける能力。うまい人は圧倒的にそこがすごい。だから、プロの研究会でも同じ鍋中を10人でのぞき込んでいても、ひとりだけが突拍子もなく「ほー!」と感嘆の声を上げたり、「んんん」とうなり声を出したりすることがある。“彼”だけが何かに気づいているのである。

気づくということに付随して問われる能力が、リカバリーする(回復させる)能力だ。僕の尊敬する、とある日本人シェフは、かつて同僚だった(今は日本にいない)インド人シェフについて、「何がすごかったんですか?」と尋ねたら、「あっ、と気が付いた時にはもう修正されている」と言った。誰よりも早く気づき、誰よりも早く修正できる人。

将棋の世界もそうなんだろう。昔、中原誠永世名人は、「終盤は悪手の海を泳ぐようなもの」と言ったそうだ。わずかな手だけが勝ちに結び付く正解だとして、それ以外がちらつく中で、誰よりも早く正確にその手を見つけられる。そうでない手を指してしまった後にすぐにリカバーできる。将棋中継にAIの評価値が出るようになり、僕のような素人でも、指し手のリカバリーについて気づける機会が増えた。

カレーの鍋も悪手の海である。そこでそうやってかき混ぜちゃダメなんだ。とか、そのタイミングでそれを入れるのは早すぎる、とか。その香りが漂ってきたときにはこう動かなきゃ、とか。カレーを作るのがうまい人はとにかくよく観察し、よく発見し、必要なところに手が動く。ただし、異変に気付き、リカバリーできるというプロセスについてカレーと将棋の違いがひとつある。ゴール設定だ。

将棋はシンプルでいい。「相手の王将を取れば勝ち」という誰もが共通のゴールに向かって手を進めればいいのだから。ところがカレーは違う。作るたびにゴールが違うし、作る人が変わり食べる人が変われば目指すカレーの味わいが変わる。だから、カレーの場合は、さらに必要な能力がある。自分の作るカレーのゴールイメージを具体的に持つ能力だ。これがない限り、そもそも何かに気づくことができないし、どうリカバリーしていいかもわからない。

まとめると、「おいしいカレーを作るためにどうしたらいいですか?」については、僕の場合の回答は、「3つの能力を身に着けてください」ということになる。

1. ゴールイメージを持つ能力
2. 鍋中の異変に気付ける能力
3. 瞬時にリカバーできる能力

いろんな人のカレークッキングを見ていると、本当に人によってこれらの能力にはかなりの差がある。いいレシピに出会うことやレシピに書かれたことを再現すること、とにかくさまざまなレシピでたくさん作ってみること、などなども大事だけれど、それはプロになるための奨励会入りに最低限必要な条件という感じかな。プロになった後にタイトル戦に出るレベルになったら、リカバリー能力の差が明暗を分けることになると思う。

昨日、羽生九段が竜王戦挑戦者決定戦の第3局に勝ち、豊島竜王への挑戦を決めた。7番勝負に勝てばタイトル通算100期を手にすることになる。将棋のリカバリー王、羽生さん、応援しています。頑張ってください!

(水野仁輔)


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