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カレーのヒント 042:さよならクロニクル

10年くらい前のことだろうか。
三軒茶屋にときどき行っていたBARがあった。そのマスターから、こんなことを言われた。
「水野君はカレーのOSを作ったんだ、と僕は思う」
マスターは、日本のインターネット黎明期に活躍した“その業界では有名な人”だったようで、すっかりそんな世界からは足を洗っていたようだけれど、彼なりの表現方法だったんだと思う。
当時の僕は何を言われているのかわからず、説明を求めた。すると、彼は、主に東京カリ~番長の存在についてそう思っていたようだ。簡単に言えば、「カレーでイベントができる」とか「仲間が増える」みたいなカルチャーを創りだしたことを評価してくれていた。
「きみがやったことはすごいことなんだ、OSを作ったのだから」
カウンターの向こうから熱く語られて、面食らったのを覚えている。
あれから、10年が経ち、つい最近、雑誌『料理王国』の編集者が、やり取りの中で僕にこう言った。
「水野君はカレーのOSだ、と思うんだよね」
編集者はもうその頭で雑誌のカレー特集を貫こうと決めているようで、カレーOSがどう作られ、どう進化し、どこへ向かおうとしているかについての深掘りが始まった。結果、今月、雑誌が発売された。その内容によれば、「水野仁輔はカレーのOSである」ということになる。
僕は途中から、もう流れに身を任せるしかない、と思って話に乗り始めた。この特集をする上でいくつかの注文を出したけれど、それ以外にひとつの提案をした。「その切り口でいくんだったら、『水野はもう死んでしまってこの世にいない』という設定で作るか、もしくは、『そもそも水野なんていう人間はこの世に存在しない』という設定で作ったらいいんじゃない? と。それは功を奏したかどうかはわからない。でも、仲間たちと一緒にカレーを作って有意義な提案ができたと思う。
何より、その仲間のひとり、カリーソルジャーの渡辺くんが、「水野さん、ついに人間じゃなくなったんですね!」と大喜びしてくれたことが、嬉しかった。そう、そういえば、10年前に「カレーのOSを作った」と言われた僕はその10年後に「カレーのOSだ」と言われたのだから。変なの……。ともかく身近な人があんなに喜んでくれたなら、よかったな、と。
ただ、逆にひとつ、まことに残念なことにも気がついてしまった。
取材を受ける中で、僕はカレーのテクニックについて発表してきたことを整理して説明するやり取りが続いた。僕自身も自分のやってきたことを整理しなければならなかったけれど、担当編集者の理解力はかなりのもので、誌面はわかりやすく整理ができたと思う。見本誌が届き、その内容を改めて読み直してみたときに、思わぬ感想が沸いたのだ。
「こんなレベルのことしか自分はやってこなかったんだな。ダメだこりゃ……」
常日頃から過去は振り返らないことにしてきた。過去に興味はない。片っ端から忘れてしまう。僕は今とこれから(といってもごく直近の未来)にしか興味がわかない。だから、今回のような企画で“自分のしてきたこと”を振り返ったり整理したりするのは苦しかったし、それが簡潔にまとまったものを見ると目を覆いたくなるような内容と直面することになる。なんとも情けない気持ちになる。
不思議だな、と思う。これまで僕は常にその時々に向き合っていることに力を尽くしたし、存分に楽しいと思って取り組んできた。その積み重ねで今に至るはずなのに、振り返るとなぜこんなにも空虚なんだろう。頭のいい人なら、この“失敗”から学んで、今取り組んでいることだって、未来に行けば「なんてつまらないことを」とむなしくなる可能性が極めて高いと想像できるはずだ。それなのに、今この現在、僕が向き合っていることは、楽しくて仕方がないのだ。
だから、やっぱり僕は過去を振り返ってはいけない体質なんだと思う。クロニクルと言ったら大げさだけれど、自分の通ってきた道や残してきたものをまとめるような行為は、自分の無力さを再認識する結果しか生みださない。こんなものとは早くさよならして、今、夢中になっているこれとかあれとかについてせっせと取り組んでいこうと思う。

(水野仁輔)

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