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カレーのヒント 062:「らしい原稿」執筆恐怖症

何年ぶりだろうか。

料理雑誌『dancyu』で原稿を書かせていただいた。なんでも30周年記念号だそうで、あ、そういうことであれば、僕が最後に原稿を書いたのは、20周年記念号のときだったのかもしれない。いや、もう少し最近かな。とにかく、何かの記念号でゆかりのある執筆陣が勢ぞろいするから、ということで『ブレイクス』というお店について書かせていただいたのが最後の記憶だ。

今回もそうだった。30周年でゆかりの執筆陣が勢ぞろいする。そういう面々の中に数えてもらえるのは光栄なことだけれど、僕は、長い間、『dancyu』執筆恐怖症というちょっとした病にかかっていて、今なお完治していないのだ。

日本を代表する料理雑誌だから、なのかもしれないけれど、あの雑誌には「らしい原稿」というものが存在する(と僕は昔から感じている)。初期のころは、せっせと店を取材しては、あの雑誌の誌面で文章を書くことをおこなっていたが、「らしい原稿」を求められているプレッシャーがちょっと窮屈だったのを思い出す。

主にそれは編集者とのやり取りにおいて強く感じたものだ。こちらが書いた文章を添削したり、アドバイスしたりしてくれる存在だから、ありがたく従うのだけれど、こんなふうに書くと直されたり何か指摘されたり、あんなふうに書くと喜ばれたり褒められたり、を繰り返しているうちに、だんだん「dancyuらしい原稿」という型が見えてきた。

僕は例えばテレビや動画コンテンツに出るのが苦手だ。理由は台本やシナリオがあって、その型に自分をはめていくと喜ばれる形式だから。それと同じようなものをあの雑誌に感じるようになってしまったのだ。経験上、そういうコンテンツはエンターテインメント性が強いため、ある意味で優れているし、多くの人からも評価される。でも、そこに僕がまじわることには拒絶感が出てしまう。

そんな観点からみれば、「dancyu」という雑誌は非常に優秀な雑誌なのだろう、と思う。でも、僕が“執筆者”として名を連ねるのは違うよな、僕のいる場所じゃないかもな、と思うようにもなった。

きっと編集の方々から言わせれば、「そんなの全然ないですよ」ということなんだと思う。でも、書き手の僕は少なくとも恐怖症の病から立ち直れないでいる。

なんというのかな、キャッチーな見出しや、華美な文章表現、意外性があったり官能的であったりする言葉使いなどによって文章が構成されていくと、適度に着飾ってお化粧してよそ行きのニュアンスを込めていくと、あの雑誌ではおさまりがよくなっていく。一言でいえば、「巧いこと書いたなぁ」みたいな文章がオンパレードするのだ。

まだ文章を書きなれていないころの自分が確かに憧れたスタイルでもあったけれど、20年近く自分なりに文章を書き続け、昔に比べればそこそこ書けるようになった(かな?)今は、もっと肩の力を抜いて、なんでもないような原稿に仕上げたい、というのが自分の好みになってしまった。僕は巧いこと書けるようになるよりも、なんでもないような原稿を普通に書けるようになりたい。

さて、ともかく、僕は今回も久しぶりに書かせていただいた。『ナイルレストラン』について、ということだったので、『銀座ナイルレストラン物語』という著書を持つ身としては、恥ずかしくない文章にしなければ、と思ったのだけれど、「水野的」に書くべきか、「dancyu的」に書くべきかを少し悩んだ。今回は、「水野的」を80%近く採用させていただいたつもりだ。とはいえ、僕が書いたのは本文の600文字だけで、見出しなどなどは編集部が「らしさ」を発揮しているから、トータルではあの雑誌になんとか違和感なくおさまる結果になったと思う。

いやぁ、苦しかった。ふう、疲れた。なんとかなったかな。ほっとした。次に書かせていただくチャンスがあるなら、だいぶ先だといいなぁ。40周年のときにでも……。そして僕は、下手くそでも型にはまらず僕らしい文章が自由に書ける場を探して、これからも粛々と執筆を行っていこう。

(水野仁輔)

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