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カレーのヒント 073:ビリヤニに呼ばれて

南インド料理の師匠、ヴェヌ・ゴパールさんが、赤坂に開いた『ヴェヌス』へちょくちょく顔を出している。今日も行った。店に顔を出すなり、「水野さ~ん!」と大きな声と嬉しそうな顔。僕も元気に挨拶をかえす。

席に着く間もなく、「ビリヤニ食べますか?」と言う。なぜ……。今日は、オーソドックスにミールスを食べるつもりで来たというのに。店の表に出ている看板には、「エビカレー」とあって、おいしそうだから頼んでみようと思ったのに。

「いや、今日はエビカレーで」という勇気もなく、「食べます」と即答。まもなくビリヤニが運ばれてきた。レモンアチャールを混ぜながら食べる。食べながら、不思議に思う。なぜ、僕の顔を見るなり、「ビリヤニ食べますか?」なんて言ったのだろう。もちろん、彼は、僕が今、ビリヤニ本を手掛けていることなんて知らない。テレパシー??? いや、僕はビリヤニを食べるつもりはなかったのだから、テレパシーではないのだろう。

こういうとき、人は何か目に見えないものに操られているような感覚になるのだろうか。インドを訪れた人が、「自分はインドに呼ばれたのかもしれない」と思う(?)のと同じように、今日の自分はビリヤニに呼ばれたのかもしれない、のかもしれない、のかもしれないのだ。

ヴェヌゴパールさんのビリヤニを食べながら、さらに考える。なぜだ。なぜ、彼は、「ビリヤニ食べますか?」などと言ったのだろう。昨年末、ビリヤニ本を手掛けることになったとき、いったいどれだけの人に「水野さん、ビリヤニのイメージないですねぇ」と言われただろうか。それほど僕とビリヤニには距離があった。ところが、やると決めたら全力で、がモットーだから、去年の12月から、どっぷりビリヤニにつかりまくった。何十品試作したかわからない。あちこちに食べに行き、人に会い、取材し、レシピを考え、編集者と打合せをした。撮影が終わった後も原稿を書き、構成を考え、まもなく校了というこのタイミングまでどっぷりビリヤニ三昧。でも、ヴェヌ・ゴパールさんがそんなことを知る由もないのだ。

……とここまでで終えておけば、数奇な出来事に日常が豊かになった小話で終わるのだが、ビリヤニを食べながら、僕は思った。

きっと、2週間ほどまえにここに来たときに、ビリヤニがランチメニューにあるんだ~、じゃ食べてみよう、と注文したことが彼の記憶に残っていたのかもしれない。

きっと、食べ終わった後に、「これ、ボイルで作ってるの?」「そうね」と簡単な会話をしたことが彼の印象に残っていたのかもしれない。

きっと、タイミングよく他の直前のお客さんもビリヤニを食べたばかりで、時間をおかずに作りたてで出せるビリヤニが1人前だけ残っていたのかもしれない。

そんなことが重なって、あのセリフになったんだろうな。数奇でもなんでもなく、現実はそんなものだろう、と思ったのだ。我ながら夢のない推測だ。ビリヤニに呼ばれたことにしておけばいいのにね。

(水野仁輔)

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